聾学校に通い続けた女の子の話 高校3年生になった今思うこと

育児

聾学校で開かれる難聴児2歳児の集まりで聾学校に通い続けた女の子の話を聞く機会をいただきました。

難聴児の親としてすごくためになる話だったのでご紹介したいと思います。

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女の子のプロフィール

名前をA子さんとします。高校3年生の女の子です。

彼女は今、我が家の次女とまちゃんが通っている難聴児の集まりから聾学校に通い始めました。
家は聾学校からかなり遠く、車で1.5時間はかかるそうです。
中学校までは家から通い続け、高校からは寄宿舎に入って週末だけ家に帰っています。

家族構成は父、母、姉、A子さんの4人家族です。
A子さん以外はみんな健聴者とのことでした。

聴力レベルは両耳とも100dB以下の音は聞こえない重度難聴で、補聴器を装用しても聞こえる話し声は雑音にしか聞こえないそうです。

口話と手話で話をしてくれましたが、口話だけでは言葉を聞き取ることはできず、更に手話は早かったので私の手話レベルでは殆ど話を理解することはできませんでした。
先生が隣で通訳をしてくれたのでなんとか話についていくことができました。

以降はA子さんが質問に対して答えてくれた内容をそのまま書いていきます。

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地域の学校に行きたいと思ったことは?

それはありませんでした。
聾学校で同じ難聴の友だちと手話でたくさん話ができることが楽しかったから。

地域の学校へは月に1回、交流という形で行くことができるのでそれで十分だと思いました。

お姉ちゃんと違う学校に行くことについて不思議に思うことはあったけれど、お母さんが付いてきてくれていたのでお母さんを独り占めできるからいいと思いました。

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学校への通学はいつから一人で?

小学校2年生まではお母さんが車で送迎してくれました。

3年生から1年間はお母さんと一緒に電車で通って、4年生からは一人で通い始めました。

一人で通学し始めて困ったことは電車に乗り遅れたときにどうすればいいか確認することができないことでした。
携帯電話でお母さんにメールをして教えてもらってなんとかすることができました。

あと、駅からバスに乗り、バス停から歩いて学校へ向かうときに車のクラクションと踏切警報機の音が聞こえないことは困りました。
ちょこちょこ後ろを向いて確認したり、ランプをしっかり目で見て確認することを心掛けました。

遠くから通学することは一緒に通う友だちがいたから苦ではなかったです。
友だちと話をしていたらあっという間で、通学時間が楽しくてたまらなかったです。

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自分が難聴であることを受け入れるのに時間はかかったのか?

小さい頃のことで正直記憶にないけれど、母親は補聴器をつけていなくて自分は補聴器をつけていることを不思議に思ったりはしませんでした。

聴覚障害を持って生まれてきたことで両親に対する怒りなどは特にありません。

自分は難聴者で自分以外の家族は健聴者であることの違いを面白いと思いました。
例えば、家族は健聴者なので顔の表情が乏しいが、自分はすごく豊かなところなど。

難聴であることは不便なことは多いけれど不幸ではないと思っています。

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A子さんの話を聞いて思ったこと

まず、A子さんのように重度難聴だと口話で話をするのは難しいことがよく分かりました。

次女とまちゃんは高度難聴なのでA子さんよりは聞こえるほうなのですが、それでも周りの人と話をするときに口話だけでやりとりをするのは難しいんだろうなと思いました。

親としては出来るだけ口話で話せるようになってほしいと思っていましたが、高望みをして無理強いしてはいけませんね(;´・ω・)

そして、聾学校で同じ難聴の友だちと話ができることの大切さを感じました。
我が家も聾学校までは車で1時間ほどかかるので、出来れば小学校からは地域の学校へ行ってほしいと思っているのですが、小学校を決める頃に本人の気持ちをしっかり確認したほうがよさそうです。
生きていく上でやっぱり「友だち」は大事ですから(*´з`)

それから、自分が聴覚障害を持って生まれたことについて。
A子さんのように自分の障害をしっかり受け入れられることをすごいなと思いました。
きっとご両親が沢山の愛情を持って育てていかれたんでしょうね。
我が家の子たちもA子さんのように育ってくれることを願うのみです。

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最後に

授業で保育の勉強をしているそうで2歳児の子どもの親の意見を聞きたいとのことで勉強会の時間に来てくれました。

こちらの質問をする前にA子さんから以下のようなことを聞かれました。

  • 子育てを通して楽しかったことや苦労したこと
  • 自分の子どもの聴覚障害が判った時にどう思ったか

後者の質問に対して、判った瞬間はショックだったと正直に言えば良かったのかもしれませんが、聴覚障害を持つA子さんを前にそう言うのは酷な気がして誰もそうは言えませんでした。

私たちが何も答えられないでいると、A子さんは自分からこのような話をしてくれました。
「私の母は私の聴覚障害が判った時ショックだったと言っていました。でも祖母が手話サークルに通っていたこともあったので、手話を教えてもらったり色んな努力をしてくれたみたいです」

自分の子どもと障害について色々話し合って、障害を受け入れているA子さんの家族を本当に素敵だなと感じました。

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